2016年10月31日月曜日

「レガシー」なツーリング

ツーリングしましたが、「DABUROKU TOURING」をし損ねました。表紙に使うW650の写真を、と、撮ってない…。

この日は用があって東洋のマチュピチュこと別子銅山へ。別子銅山を出たのは午後1時過ぎ。そのまま帰るのもつまらないので旧別子山村(現新居浜市)から大田尾峠を越えて高知県の大川村〜いの町へ。最後は寒風山トンネルを抜けて帰宅するというコースでした。

日没もめっきり早くなってきましたし、なんかいい所ないかな〜と思って走っているうちにとっぷり日が暮れてしまったというわけです。

別子銅山のなんかです

旧別子山村から大田尾峠を越える道は大規模な崩落があり、2年間通行できませんでした。愛媛側より高知県側の方が道が良好な気がします。大田尾峠を越えて大川村に入り、程なく進むと「白滝鉱山跡」の案内。初っ端に別子銅山に行ったせいか、気になってしまって一路白滝鉱山跡へ。

白滝という地区の「里の茶屋」で休憩。大川村では「はちきん地鶏」や「大川黒牛」を育成していて、おみやげ品もそれにちなんだものがズラリ!とまではいきませんが、いくつか売っています。気さくな店番のおばちゃんに教えてもらって、いくつか買いましたよ。

どれも美味しそうだw(唯一W650が写っている写真)

いろんな道の駅やSA、PSに立ち寄ると、おみやげとはいっても、裏面の製造元なんかを見たら、まぁまぁよそで作っているものがあります。せっかくだからなるべく地元を応援したいので、よそ製のものは遠慮するのですが、大川村の「里の茶屋」は商品数こそ少ないですがそんなことない感じです。

余談ですが、とあるPAで妻とカレーうどんを食べていたら、後から入ってくる人がみんなカレーうどんを頼むってことがありました。カレーうどんの魔力ですかねw。

おばちゃんに白滝鉱山跡への道を教えてもらい、到着したのは「朝谷山腹工」。国土交通省の施設らしいです。

朝谷山腹工管理棟

でも、閉まってる…。そしたらちょうど地元の方がいらして、鍵をあけてくれました。ラッキー!地元の人が管理を委託されているのかな。写真撮影はOKとのことで、坑道の入り口へ。

危険な坑道のため中に入ることはおろか、触れることもできずガラス越しです

白滝鉱山は銅山です。パネルを見ると、白滝鉱山は高知県では第1位、四国では3位の鉱山。1672年に採掘が始まり、昭和30年代の最盛期には月産鉱石約10,000トン、製鋼100トンを産出しました。うん、スケールがでかくてよくわかりません。

どんだけ掘ったらこれだけ産出するのかというと標高800メートルの坑口からなんと最深部は海面下116メートル。地下の気温は30度近かったとか。遠い採掘現場までは往復4時間もかかったそうです。採掘条件が悪くなったこともあり、1972年に閉山。ちなみに別子銅山は1968年に閉山です。

えっちらおっちら危険な作業をしていたんですねぇ

白滝鉱山跡を後にして(ややこしいなw)、早明浦ダムがつくるダム湖に沿う高知県道17号線を寒風山トンネルをめざし西進。そしたら「いの町」の高藪でなかなかかっこいいレガシー発見。

高藪取水堰は1930年完成

吉野川水系にはいったい幾つのダムや堰があるんでしょうね。

日が出ている時は暖かいのですが、山間部や日没後は寒い寒い。ジャケットやグローブは冬用、デニムはWILD FIRE+タイツ、ネックウォーマーで正解でした。

帰宅したら妻がおみやげに買った「カレーうどん」を出してくれたのですが、いまいちあったまってないですよ、てな感じで…。ショック!でもお腹が空いていたので食べてしまいました。肝心の味はだしが効いていて美味い!

この日、途中で給油した時の燃費は27.3km/Lでした。

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